組討道とは
組討道とは戦う事ではなく、身を護る武道です

組討道創始者 近藤修匡 会長
組討道は護身術です。競技(試合)を目的としたものではありません。
1970年代、突き蹴りという種目から武道というものに携わるようになった私は、競技ではなく護身術が覚えたいと思っていました。私の護身術に対する考え方は、柔術のように人ひとりが間に入れるような間合いではなく、ゼロ距離という密着した間合い、いわゆる詰めの間合いが重要だと考えていました。私の闘技方法は当初からそうでした。他の武道や武術の経験も深まって行くにつれ、競技ではなく護身術を目的として新たなものを始めようと志したのが「組討道」でした。
古来、日本には「組討」という闘技方法があり、突きや蹴りを重要視した闘技と知り、2009年にそこだけをとらえて「組討道」と名付けました。当時では突きや蹴りを重要視した護身術や、競技や冴えを意識しない護身術は、私が調べた限り有りませんでした。
しかし、組討について色々な文献等を調べて行くうち、始まった当時の社会情勢も、闘技方法に対する考え方も、全く違う事がわかってきました。組討道は、討ち取る事を目的とした闘技ではなく、討ち取る技術を持ちながら、護身術として相手を「制圧」する新たな武道として作り上げカリキュラムを確立しました。
組討道の組んで討つという意味は、
組 ― そもそも格闘技において最初から組み合って戦いが始まるものはあまり無く、相手と対峙した時点で戦いは始まり、組み合った時は「結果を出す時」という認識が正しい。
討 ― 最終目的が、討ち取る・殺すという事。組討道ではその技術を身に付ける事。
道 ― 討ち取る技術を持ちながら、それを使わずに、相手を制圧し「生かす」ことを目的とする。
打 ― 「組打」と書かれている文献も多数見受けられますが、最終目的が打撃技により優劣を決める事
2009年1月標榜 近藤修匡
組討道とは戦う事ではなく、身を護る武道です
1)一貫した稽古内容
現代において武道または格闘技と言われる分野は、
1.突きと蹴りという打撃技
2.相手を掴んで投げる投げ技
3.お互い倒れた状態で技をかけ合う寝技
4.武器を使う武器法
など、この他にも闘技方法は数多くの種類があります。この種類を習うにあたって、過去の武術と言われる時代においては、闘技方法又は流派ごとに「形」という稽古手順が数多く存在し、決まった演武を順番に覚える事で一つ修了。そして卒業したら別の闘技方法の稽古という方法をとっていました。
現代の武道においてもその名残はあります。闘技方法の中でも種目として分かれたのですが、やはり「形」の稽古を基本に行っています。しかし、形稽古の一番の問題は、様々な闘技方法の複合的な活用を、「形」ではなく自由組手として日常的な稽古に取り入れている所が少ない事です。
当會館の組討道は、無数にある闘技方法の内より、いくつかを選定し、それらを関連付けて一つの武道としたものです。まず当會館で現在指導している突きや蹴りという打撃技(空手道)を覚えて頂きます。これは、突きや蹴りが下手では、例えどんな武器を手にしたとしても身を護る事には繋がらないと考えている為です。そして上記の通り、投げ技・武器法・制圧法まで、初級者からの全ての稽古内容が組討道の実戦へと繋がる、一つの武道として一貫したカリキュラムとなっています。決して一つ一つに「修了証書」というものはありません。それら全部で一つです。
大切な事は「制圧」という絶対的終息を取り入れる事により護身術は成立するという事を忘れてはいけません。
2)終息の考え方
一般的な競技においては、審判が早目に介入して勝敗を決めます。しかし当會館の一貫したカリキュラムでは、「形」という手段を取らず、普段の自由組手の中で相手を投げ、制圧することを稽古する事により、現場にて即時対応が出来、また当事者双方が終息を理解出来ると考えます。審判など第三者の居いない場面を想定した、より実戦向きの稽古です。
この当事者双方が終息を理解出来るという新しい闘技方法を確立したのが組討道です。
組討道の人間形成=道
武道についての様々な史料によると、「武芸」の時代があり、「武術」という時代を経て「武道」という時代になりました。「武術」から「武道」に変えた先人の思いは、「人間形成」を一番とした理由からです。決して「武道」は戦う為の道具などではなく、「秩序」を正しく学ぶ場としたからです。
当會館のカリキュラムでは、昇級して行くにつれ「実技試験」だけでなく「学科試験」も組み込まれています。安易に、実技を皆で行う事により「秩序」が自然に備わるとは考えてはいけません。また「学科試験」においては歴史的経緯に基づき、より正確に武道を理解頂くものを用意しております。試験会場にて課題文を読んで頂き、レポートを書いて頂きます。そしてその内容について解釈の統一と誤った理解をしない為の「教学」も学科試験の一つとして行います。
個人に必要な「基本的秩序」を、武道の考えに則し、組討道独自のカリキュラムで正しく学ぶことにより「自発的秩序」というものが生まれてきます。それが先人の思いだと解釈しております。
ここで「道」についてもう少し詳しく触れたいと思います。 当會館では、武道の「道」とは「人が歩んでいく道、生きて行く道」の事であり、言い換えれば「人生」そのものであると考えています。
例えば森には、色んな木々や草花や生き物がお互いに助け合いながら生活をしています。もしその森の中で1本だけ立派な大木があったとしても、せっかく近くで咲いてくれた花を枝という傘で日光を遮ることで枯らしてしまったり、他を寄せ付けなくなったりするようであれば、その1本だけの立派な木の命も将来的に危うくなってくるものと思います。大きく立派になれたならば、出来るだけ遠くを見て、自身の近くから遠方までの全体のバランスを「風」という力を借りて肌で感じ、周りの皆が豊かさを感じるようにする事こそ大切だと考えています。
人の場合もこの木と森の関係が当てはまるものと思います。人も多くの人々の中でしか生きてゆくことが出来ません。どんなに偉大な人でも、一人で生きてゆく事は出来ないものです。組討道を修得するという事は、武道だけではなく広く社会生活において必要な「社会的秩序」を捉える事の発端と考え、先人が求める武道の本質と考えます。
先ほど触れた立派な木とは、人の場合は特定の分野において長けた者という事が出来ますが、その特定分野において長ずるだけでなく、多くの人々という森の中で、皆とのバランスを考えながら生きて行く事が必要です。森という自分を取り巻く環境を維持する事が秩序であると理解し、目立つ事ではなくひっそりと生きる事が出来るようになる事が大切です。呈峰會館においてはこれを「道」と定義しております。当會館で基本的な秩序を学ぶことにより、社会生活における秩序を理解出来るようになり、自発的秩序が良心から湧き出てくる生き方が出来るものと考えます。
組討道は、立ち向かい自己犠牲を覚悟するのではなく、「なんとしても生きのびる」というのが護身術の精神と教えます。そのためには技術が必要であり、それを使わずに逃げて生き延びる。ひたむきな「生きる事への気持ちの強さ」を根底とし、生きるために人と融和する事を大切だと考えられるからこそ、秩序を学べるのです。
以上の「武」と「道」のカリキュラムと稽古をもって、組討道という武道と言います。
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